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【アラベスク】  第13章 夢と希望と未来



第3節 直向の拗 [3]




 聡が学生だと、なぜわかったのだろう?
 恋の悩みだって持ってるぜ。
 得意げに進路の悩みかと言われ、素直に肯定するのも癪で聡はブスリと下を向いた。
 何だよ、わかったような言い方しやがって。悩みなんていろいろあるだろ。他にも人間関係とか、家庭の悩みとか、親の事とか。
 途端、母の顔が脳裏に浮かぶ。怒りが再燃しそうになる。
 ぐっと抑える。
 でもやっぱり、基本的には進路が悩みなんだろうな。おふくろの何が気に入らないって、それはやっぱり進路に対するおふくろの態度なんだから。あ、あと、美鶴に関わるな、とかってさ。
 その姿に老人が笑う。
「図星か。わかりやすいの」
 悪かったな。
 なんだか急に老人の存在がウザったく感じる。
 こんなところ、来るんじゃなかった。
 後悔が胸の内に広がり始める。老人のカラカラとした声が響く。
「よい事じゃ。悩む事はよいよい」
「他人事みたいに言わないでください」
「ほっほっほ、すまんすまん。悪かったの」
 本当に悪かったと思っているのだろうか? 疑いたくなる。
 相手はたぶん、こちらよりも何十歳も年上だ。きっといろいろな経験をしてきたのだろう。辛い思いだってしてきたのだろうから、そういう人間から見れば、聡の悩みなんてくだらないモノにしか思えないに違いない。年を取れば笑い話になるさ、などと気楽な言葉で慰められてしまうのだろう。
 思うと、腹が立った。
 本当に、来るんじゃなかった。
 後悔と共に立ち上がろうとしたその肩に、重みが()し掛かった。
 圧し掛かったという表現は、正しくはないのかもしれない。皺枯れた、骨ばった掌を乗せられた。大した力もない。聡が振り払おうと思えばできない事はない。手加減をしなければ折れてしまいそうなほど貧弱な掌。
 だが聡は、立ち上がるのを思いとどまった。俯いていた顔をあげる先で、老人が笑ったままこちらを見ている。
「で? どちらじゃ?」
「は?」
「夢はあるのか? 無いのか?」
 夢があるのかと聞いたのはこちらの方だ。ならばまず、こちらの質問に答えるのが礼儀だろう?
 そんな幼稚な口答えが、なぜだかできなかった。笑ってはいるがまっすぐに見てくる相手の視線に、聡は躊躇い、一瞬唇を引き締め、そうして再び俯いた。
「わかりません」
「わからない、か」
 夢なんて、無いと、思う。
 無いのだろう。思いつかないのだから無いに決まっている。だが、夢は無いと素直に答える事ができなかった。それに今の聡の悩みは、自分に夢ややりたい事があるのか無いのかといった内容ではない。
「夢なんて、あったって無くたって、同じ事ですよ」
 進路は学校と親が決める。恋の良し悪しは親が決める。
 決められてたまるかっ!
 膝の上で拳を握り締める。
「夢なんて、あったって無くたって同じ事だ。俺には必要の無いものなんだから」
「必要がないのか?」
「えぇ、ありませんね」
 辛辣に口元を吊り上げる。
「俺の進む道は親と学校が決めるんだ。だから、俺に夢なんて必要無い」
 その言葉に、老人は無言で聡の肩を撫でた。そうして、その掌を引っ込め、今度は自らの顎を撫でる。
「君は、ひょっとしたら唐渓という学校の生徒かい?」
「え?」
 意外な言葉を聞き、聡は顔をあげる。
「違うのか?」
「いえ、そうです」
 今度は素直に認めてしまった。
「唐渓です。どうして?」
「この辺りでは有名じゃよ」
 あぁ、やっと合点がいった。確かに唐渓はいろいろな意味で有名だろう。知っていてもおかしくはない。
「人気の高い学校じゃからな」
「人気、なんですか?」
 なんだってあんな学校が? 親の体裁や家柄で差別され、進路も親や学校が決める。そんな学校のどこに憧れるというのか?
 そんな嫌味を込めた聡の視線を不思議そうに受けながら老人は頷く。
「由緒正しい進学校じゃからの。それに、それぞれの生徒にふさわしい進路を決めてくれるというのも、魅力の一つじゃそうだな」
 進路を決めてもらうのが、魅力の一つ?
「そんなに、魅力的な事ですか?」
 知らずに身を起こしていた。背を伸ばすと圧倒的に聡の方がデカい。高い位置から見下ろされても老人は臆する事もなくゆったりと見上げてくる。
「自分で進路を決める必要がない」
 聡は絶句した。そんな少年の表情に気付いているのかいないのか、老人はフイッと視線を公園の隅へ移しながら続ける。
「自分で決めなくても、学校と親が決めてくれる」
 同じような事を、コウやツバサも言っていた。
「だから、自分の未来に責任を持つ必要が無いのじゃよ」
「責任?」
「そうじゃ。自分で決めた未来でなければ、例えばその道で失敗したとしても言い訳ができる。この人生は自分が選んだワケじゃない。親が決めたんだ。だから失敗したのは自分のせいじゃない。親のせいだ。学校のせいだ」
 聡は口が挟めない。
「そして諦めもつく。自分の人生は自分が決めるワケじゃない。だから、自分に合った人生が歩けるとも限らない。だから失敗しても仕方がないんだ。そう思えば諦めもつくし、周囲への言い訳もできる。逆に、自分で進路を決めてしまうと、何かあった時に言い訳ができなくなる。これは俺の決めた人生だ。だから失敗した原因は、責任はすべて自分にある」
「それは」
「だったら、進路など決めてもらった方がいい」
 老人は再び聡を見て笑った。
「その方が気楽じゃろ?」
「で、でも」
 勝手に自分の進路は税理士だと決めてかかる親の態度には納得ができない。







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